まぁ、普段mixiには色々な漫画とか音楽のレビューを載っけてたりするわけなんですけれども、
こっちには一切のっけていないなー、こっちだけの読者の方に申し訳ないなーと思いましたので、
こちらに転載いたします。僕が普段、どんなものを読んだり聴いたりして、
どんなことを感じているか、ちょっとした思考メモ的な感じで受け止めてもらえればいいです。
レスポンスなど、頂けると嬉しいかな。
以下、レビュー本文。

諦めてしまっている感じ。郊外の街、そこからもう、何処にも行けない感じ。
どうしようもない閉塞感。そんなものがこの作品にはある。
「最近の若者はすごく近いことと遠いことしかわからなくなっている。
身近な問題と世界の破滅のような極めて抽象的な出来事が、ぺたっとくっついてしまっている」
と言ったのは、確か『セーラームーン』とかで有名な幾原邦彦だったような気がするけれども、
この作品に出てくるエピソードやキャラクターの心情には正にそれに近い感覚があるような気がする。
それはつまり、『セカイ系』と呼ばれるストーリー類型のことである。
90’年代の終わり、丁度僕が20歳前後の頃、地元から出てきて大学に出てきた頃ならば、
この作品にはひどく共感したのかも知れない。憧れを抱いて出てきたのに、
現実の自分はどうにもこうにも上手く行っていない。街は広いのに、何故か感じる閉塞感。
一人暮らしのアパートが、まるで牢獄のように感じた。
何処か昔、通ったような感覚をこの作品を読んで感じる。
しかし、今の僕から見れば、やはり『セカイ系』というストーリー概念自体が、
どうも足が宙に浮いてしまっている感じがする。僕はああいう考え方はもう捨て去った。
僕は、絶望も閉塞も破滅も後悔も挫折もあることを知った。けれど、僕はもう慣れた。
それらを受け入れて、それでもただ、一つ一つ、目の前にあることを捉え、
こなしていくことになんら躊躇はない。それが地に足を着けることなんだ、
と最近は思っています。
作品が描いているものは、僕が既に通り過ぎた概念だったりするので
共感は出来ないのだけれども、幾重にも重ねられた伏線や構成力、描写力には驚かされます。
僕はやっぱり『セカイ系』は好きになれないのだけれども、
好きな人はこの作品は好きなのかもしれません。
どうでもいいけど、『フリクリ』に
影響されていないか?と思う部分が幾つかありました。

- 2008/05/10(土) 22:42:30|
- Entry
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0