人が人を量る尺度は人それぞれだが、
身内で、精神病患者に対しての差別発言があった。
私の友人には精神科に通院している人間がいる。
それが元で入院した人間もいる。それが元で自殺した人間もいる。
彼らには人権は無かったのか?
まず、自殺した人間の死について述べる。
それは、決して周りに望まれたものではなかった。
彼の友達の誰もが、その死を残念に思った。
僕は、その時の友人達の悲しい表情を、今でも忘れられずにいる。
彼等の悲しい表情が、無情にも、
生前の彼の人格に対する期待を物語っていた。
次に入院経験のある人間について述べる。
彼は、仕事に対して誠意のある人間であった。
私は頼りにしていた。
しかし、度重なる上司からの叱責によって、
彼はついに精神病院への入院を余儀なくされてしまった。
彼は本当に仕事においてミスが多かったのだろうか。
会社の利益において、障害のある行為を取っていたのだろうか。
私は当時、彼の下について勉強していた。
ところが彼の入院によって、請け負っていた仕事の責任が、
入社して間もない新人である私に降りかかってきた。
結果、多大なる会社的損害に繋がった。
この責任は誰にあるのだろうか?
そもそも人権という概念自体、歴史上、現在に至るまで曖昧なものですが、
それでも、あらゆる命、人間の存在というものに対して、
否定する、ということはあってはならない、というのが僕の見解。
誰にとっても、嫌いな人間、苦手な人間、認めたくない人間、許せない人間、
そういった人間がいることは事実です。
しかし、かといって、その存在自体を否定することは、
殺人とほぼ同義、と僕は考えます。
それは、社会的に大きな損失を与えた人間に対しても同じ。
僕は、死刑囚にすら、反省と心の安寧を持っていて欲しい、と思います。
勿論、かといって被害者がそれらを許すこととは別の問題と思いますが。
そして、精神疾患患者らは、
たとえ社会的実益が乏しいにしても、
やはり、この世に存在することを否定されるいわれは、何一つない、と思います。
例えば、あなたの祝福されて生まれた子供が、
仮に不具者だとして、あなたはそれでも、子供への愛を止められますか?
そういうことです。
とりあえず、精神病患者に対する差別発言を行った人間を、
死んでいった友人との、現在苦しんでいる人間との友人との友情にかけて、
僕は、それはもう、多分、一生許さないだろう、と思います。
- 2008/07/09(水) 23:15:24|
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